ROUNDABOUT
2. 牢





拘留所の重い、しかし小さな鉄戸は、ゆっくりと押し開いてもかすかに軋んだ音をたてる。
サビついた金属のたてる擦過音。
仄暗い夜の廊下にひろがった少なからぬ違和感に、何者も気付く様子がない事を見て取って、阿散井恋次は、ホウと安堵の息をこぼした。
たとえ、六番隊副隊長とはいえ、拘禁された牢から抜けだし、あまつさえ全隊に伝えられていた戦時特令を無視して、早々に旅禍と手を結んだ身なのだ。藍染隊長の造反によって責任の所在がうやむやになったまま、ひとまずの謹慎を申し伝えられている今、こんな場所を真夜中にふらついている姿を見つかるわけにはいかない。そんな理由から、常日頃、頓着なく大またで歩いていく瀞霊廷の廊下を、彼は、影の間をぬってすべるように進んでいくのだった。
あらかじめ用意しておいた鍵で、二つ、三つ目の錠をとりはらい、前に進む。
すると、長い廊下の先に、ひとつの小さな扉が見えた。

(、、、あそこが、吉良のいる部屋かよ、、、)

事前にほどこしておいた手回しのおかげで見張りがいないことを確認し、阿散井は、口中でぼそりと呟いた。
後ろ手に背後の扉を閉めると、もはや、外部に音がもれることはない。そうして、残す道のりを、わざと足音を響かせるようにして渡った。
手持ちの鍵は四つ。最後のひとつを鍵穴に差し込んで、ゆっくりとノブを回した。

「よお」

戸を押し開きながら、暗い室内に声をかける。真四角の小部屋。その隅で、死体のように動かない影がうずくまっていた。月明かりにぼんやりと光る金の髪が、外から流入した風に吹かれて、かすかにゆれた。
部屋の中へ全身を滑り込ませ、吉良のまえに立つ。

「また、えらく立派な部屋に通されてんじゃねーか」

そう言って、ピクリとも動こうとしない彼の体をかるく足でゆすった。

「俺も、つい昨日、卯の花隊長の治療を受けてよ。やっぱ、すげえなあの人。景気よく肩が裂けてたってのに、一瞬で直しちまうんだぜ?あの治療受けてりゃ、日番谷と、雛森だって、、、おい、吉良、聞こえてるか?」
窓のない部屋。わずかに開かれた扉のすきまから、ほそい光がのびて二人の姿を照らしている。霊力を封じる束帯に両腕をからめとられ、壁際に横たわる吉良の体。その全身が、無数の傷にあますところなく覆われている事を見てとって、阿散井は、わずかに顔をゆがませた。これらは、尋問によって生じた傷か、はたまた自分自身でつけたものか。
今はゆるく開かれた彼の口腔から、何の言葉も得られていないという情報は、事前に確認して、了知済みだった。

藍染がこれから何をするつもりなのか。
彼らは、これまでどの様に、計画を実行してきたのか。
そして、、

「なあ、、、何で、オマエは、雛森達がやられるって判ってて、あいつ等に手ェ貸したんだ?」

それが聞きたくて、ここに来たのだ。

「オイ、吉良」

ぐったりとした体を片手で引き起こす。頤を掴み、伏せていた頭を無理やり上げさせると、思いのほかはっきりとした視線が、阿散井の顔に向けられていた。

「吉良、、、」

こいつは、俺の声を聞いている。
そう、確信する。

もう一度、口を開こうとした時、小さな声が聞こえた。

「市丸隊長が、、、」
「あァ?」
「市丸隊長が、、それが僕の仕事だって、、、、言ったんだ、、」

ふいに、呟かれた言葉が何を意味するのか、それを理解したとき、阿散井の胸中でずっとくすぶっていた何ものかが大きくはじけた気がした。

「ふざけんじゃねえぞ!おまえらのせいで、何が起こったと思ってんだ?!」

勢い余って壁に打ち付けられた吉良の頭がにぶい音をたてて小さくはずむ。あわい金のまつ毛に縁取られたまなじりの端に、じわりと滲んできた透明な涙が、逆に、ひどく汚らしいもののように見えて、胸倉を握り締めるたなごころに力がこもる。

「甘えたことぬかしてんじゃねえ!知ってること全部話せ!!」
「・・・・」
「とっとと、話せ」

喉元を絞り上げながら低く呟く。

「、、そんなの、、、、、置き去りにされるような僕が、たいしたこと知ってるわけないだろ!」

かすれる声で叫んだ言葉は、半ば裏返って悲鳴に近かった。

「僕は、捨て駒だったんだ!隊長は、、雛森君に手をださないって、、言ってたのに、、、隊長が、、、」

喉元を締め上げる恋次の指が力を増す。じわじわと吊り上げられて、吉良の指先が地面すれすれに所在無く揺れた。

「雛森は、、ためらいなく前からひと突きにされてた。あいつをやったのは、藍染隊、、、藍染だろうけどな、、、、オマエが見殺しにしたんだよ!」

ジリジリと、目線を合わせながら対峙する。
そらせない視線のかわり、吉良のまなじりから堪えきれなくなった涙があふれて、視界を塞いだ。

「雛森君は、、、、?」
「生きてるよ。今、四番隊で、治療をうけてる」

無言でこうべを垂れた吉良の面長の顔に、長い前髪がさらりと落ちる。完全に脱力したその体を、阿散井はそっと床におろした。

「確かに、そうそう情報残してくよーなマネしねえだろうけどな、おまえは、あいつらの行動を一番近くで見てたんだ」

そういって、握り締めていた手を離すと、やせぎすの体は造作なく崩れ落ちそうになる。
先ほどまでの激情が嘘のように、うつろな眼差しを床に向けたまま、茫漠としている吉良の肩をささえる。その顔から目線をはずし、小さく息をはいた。

「おまえしかいねーんだ、頼むぞ」

返事はない。だが、これ以上問答に費やす時間は残されていない。用意された時間がすでに尽きている以上、この場で、吉良の言質をひきだすことは断念せざるをえなかった。
わずかにさしこむ夜光に照らされた吉良の頬は青白い。その意識が、またどんよりと淀み、思考の底に沈みこんでいく様子を見てとって、阿散井は、彼の体をつめたい床によこたえる。何か声をかけようと思い、やめる。
無言のまま立ち上がり、振り返らぬまま、重い小さな扉を閉じた。

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